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【ぼくの県展回顧録】 第33回 昭和54年(1979)高知県展              NO.9

あっと驚く褒状5名  注射打ちながらの制作結果

 あのころは、やはり目指すものが大きく高く、そして何より写真年齢が若く、向こう見ずでぶつかっていくパワーがあった。優れた指導者はいなくとも、前向き姿勢が、どんどん新しい道を切り開いてくれた。しかし、ぼく自身は体調不良の極地で、毎日のように栄養剤を打ちながら、全倍サイズに挑戦の日々だった。店先に張り巡らした暗幕の間から腕を伸ばし、看護婦をしている親戚の伯母に注射をしてもらうことも度々。8月から9月という月は、ぼくの県展病の季節でもあった。何しろ一晩に3点の作品が焼き上がれば上出来といえるほど、仕上げ時間がかかっていた。午前2時までが定刻だった。まだ体重60キロになりたくともなれない病的な痩躯の40歳だった。
 『大凧とスタッフ』三木孝重。野市の大凧を魚眼で仕留めた作品。フィッシュアイならではの効果。我ながら見事に黒く焼き上げたという仕上げ屋としての自信作だった。
 『車椅子のある風景』吉田公一。大凧の歪み効果による作品とは全く違って、こちらはスケールの大きさで見せた魚眼の一面だった。そして、カラッとしたハイキー調の仕上がりになっていた。穂岐ヶ峰のここで撮ったんだという場所に、ぼくは後年立ったが、名作の生まれた場所として、人ごとながら感慨ひとしおであった。
 『遍路道』寺村一雄。ボケボケの木の間を通して見たお遍路たちのこちらへくる寂しい姿を捉えた作品。
 『少年』明石正。一宮駅にあった農業用物置風の廃屋をバックに駈け出して来た少年。
 『幼な友達』新田澄雄。佐藤明氏をして「こんなにシャッターチャンスのいい作品も珍しい。それにムダなものが一つもない。」と言わしめている。確か、正月の八王子踏切のところで出会った肩を組んだよっぱらい4人組の懐かしい思いが甦ってくるような作品だった。

悲劇の結末

 佐藤明氏の審査評を聞いて帰った晩、確かに褒状の中にぼくの老婆の作品も含まれていると早合点したからたまらない。当時は新聞を買って確かめるなんて事もなかった。前祝いとばかりに、吉田のおんちゃんところで飲んだものだ。第5回は、大阪梅田阪神百貨店まで行きました。
 が、翌朝明けて悲しや、ひら入選、連続2年の入選は芯からこたえた。寝込んでしまうくらいショックだった。「褒状が遠くかすんでしもうて、見えもせん。だが、こんなことではいかんぞ」とバネにする力が湧いたことで、ぼくの人生が開けたともいえる。
以下クラブの入選作品。
岩崎昭雄『父と娘と』。都築和郎『シャワールーム』、『水から出た少年』。小原健天『記念撮影』。前田日出男『女』。門田博通『仮り寝の宿』。尾田正憲『たわむれ』、『花火』。猪野温範『ひととき』。明石正『夜の遊園地』、『倉』。矢野一『山田』。吉永元『夜道』。新田澄雄『旅立ち』。 何といったって、以上14名(19点)の入賞入選者がぼくについてくれていた。
高知新聞『話題』欄「美の回廊」には
『……写真では土佐山田町の作家群が挙げられる。いい指導に恵まれ、互いに競い励むグループの中でもまれて、いま見事に花を咲かせてくれた。』と、こんなうれしい記事を書いてくれた記者さんがいてとても力づけられた。


ぼくの入賞と間違えた作品は『凝視』。眩しい日差しを覆うように、手をかざして何かを見つめる老婆の顔のアップ。深く刻み込まれた皺が印象的だった。南国市田村での剣道の野試合で、出会った魅力的なおばあちゃん。時間と手をかけて仕上げた思い入れの深い労作の甲斐もなく……。

第33回 入選「凝視」南国市 田村

 『メトロ憂愁』は日報連スペイン撮影旅行に参加して生まれた作品。帰路に立ち寄ったフランスの地下鉄で、目に留まった浮浪者の姿。ベンチに横たわった彼の背に、ポスターの大きなナイフが振り下ろされている。
応募総数1451点(うちカラー387点)。カラーが前年より100点近く増えていて、組写真は190点と60点もの減少。審査員の傾向を読んだり、時代の流れに反応したりで、敏感に数字が変わっている。
特選は国沢隆義氏『白い帽子』。高知写壇調の暗いトーン。 浜口俊一氏『舞台裏』。おかめの面をつけた女がひざを崩して座っている。
甲原一氏『古城』。水たまりに映った三宝山のお城を、逆さにして展示。

第33回 入選 「メトロ憂愁」フランス パリ地下鉄 1979年