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【ぼくの県展回顧録】 第29回 昭和50年(1975)高知県展              NO.5

写真会場は『高知大丸』会場  特選は3点になる

 ぼつぼつ県展がどんなものだか見えてきた。入賞することのむつかしさはもちろんのこと、県展を目指すクラブのリーダーであることの自覚を持ち、自分自身を高めて行くことや、県下一円で県展を目標に努力している写友たちの動向を広く知ることで相手の姿を把握することなどだ。
 県展に写真部が参加してからもう20年が過ぎていた。しかし、先輩たちはみんな若く逞しく見えた。開拓した先人たちは、まだ、現役で活動していた。そんな先輩たちを手本に、ゆっくりと地道に積み上げるしかないのだと、言い聞かせるしかなかった。
 クラブの月例会で指導に来てくれていた大野さんから、この年、ぼくは会場委員に推薦していただいた。13名の参与の皆さんが、出品を始めてまだ5年目のぼくに、どんな期待を込めての抜擢だったろう。できるかぎり応えていかなくては、の思いを新たにすることとなった。

さて、誕生して2回目の出品になるわがフォトクラブの成績のほうはというと、ぼくの『日暮れ時』が褒状になっていた。ホームグランドのようによく足を運んでいた浜改田で撮った昼間の作品だ。二つのテトラポットの間に入れたおばあちゃんとおぶさった孫、手には包帯が巻かれていた。

第29回 褒状「日暮れ時」南国市 前浜 1975年

 沖合いのクレーンは、今テトラを沈めた瞬間の水しぶきが白く…。 暗室での引き伸ばしに要した露光時間は40分。じっくり焼きこんで前回に続いてまたも夕景にしてしまった。仕上げに時間をかけることが楽しくってしょうがないし、未熟さをカバーするために若い熱意でもって作品作りにかかっていた時代のことだ。黒焼きとは違った意味で焼き落とすことをマスターしようとしていた。県展が見えたとはいえ、まだ怖いもの知らずの修行時代だった。
高知県写真家協会の旗上げ 出品者数は386人、搬入総数1575点(モノクロ1422点・カラー153点)郷土文化会館だけでは展示場が不足して、第二会場に高知大丸を間借りした。写真部が受難の時代に入る。特選の数も3点に絞られ、さらに厳しい審査を受けることになる。
 審査員は細江英公氏。『現代の写真表現とはを問う意気込みを買う。入落の基準はこうだという一線を引かない。審査員は裁判官じゃない、弁護士なんだ、と心得て選考した。この点はいいと弁護できる点がたくさんある作品を選んだ』


 岡本守正氏『母』。古い座敷に居る母なる女性と欄間にかかる肖像写真の額を思い出す。トップに選び「作者が被写体としっかり向き合い、対象に肉薄した新しいタイプのドキュメンタリーだ。戦後30年云々……」と評は続く。 白川喜一氏『石鎚への道』。絵画的、日本画的、テクニシャン。 清遠成男氏『同期の桜』。6枚の組み写真で、ぼくの最も印象に残る作品になる。「定着不良の状態で画面を荒らす技法、屈折した写真」いつかこんな作品を生み出せたらの良き手本となった。
 我がクラブの成績はといえば、褒状入賞は吉田公一『過疎の担い人』。急斜面の山道を大きな繭袋を背負った後ろ姿が行く。時代を切り取った記録性、山村の多い高知という土地のローカル色、的確な視点でまとめ上げたすきのない傑作だった。
 入選には上森陽『制限時速50』。3枚組のモダンな構成だった。

持続の困難さ

 写真を続けること、一つのクラブに残ることの難しさを、当時の仲間の名前を見るにつけ思い知らされる。クラブを去り写真も続けていない人たち、その後亡くなった人たちのこの年の入賞入選作品を。
 褒状入賞は故矢野一さんの『稲刈』。この審査員は後ろ姿によく引かれるのか、これも蓑笠つけて稲を刈る一人物の後ろ姿が選ばれていた。写真をやめて、老人クラブのゲートボールに一時入り浸っていたが・・・・。
 入選では家族写真の得意だった故尾田正憲さんが、幼児の注射シーンで『いたいよう』。
 故高橋隆生さんは出身地香我美町で撮った作品だと聞いている『倉』。裁判所務めだったが、お酒が入っての十八番『座頭市』は絶品だった。
 小川俊夫『舟』。当時は学校の先生、そして詩人、作品も大いに個性的で、その後作家に専念写真は続かなかったのがいささか残念。
 小松国盛『黙』。物部川でのシルエットの釣り人と、西に傾いた太陽と。裏焼きの合成で画面に変化をつけた。
 明石圭嗣『昔の話』。いまや「韮生」という俳号で指導者的俳人になっている。語っている老人二人の姿は、昔話より外にはあるまいと思える、身振り手振りの作品だったと思う。
 三木孝重『浜辺寸景』。
 浜田圭志『家』。ぼくの写真入門時代、彼抜きでは考えられない存在。撮影にしろ、暗室作業にしろ、彼の手ほどきなしではかなりのスピードダウンになっていただろう。『家』は本山町へ行って、方向転換、立川番所方面へ車を回し杉囲いの奥に雨具のこうもり傘を置いたものだ。なかったものを持っていってちょっと演出、生活をする人を想像させようとしての、ごく初歩的な演出であった。がとてもいい勉強をさせてもらった。
 ふるさと香川に帰って、いま写真屋さんをしている真部和夫は『路地』。「写団ねんご」という写真クラブを立ち上げ長いこと頑張っていてくれていたのが嬉しい。
 前田秀一『P282の女』『暮色』。一時は止めたかと思われたが。
 紅一点の入選は今久保美智子『大雨の午後』。

第1回日報連四国展と初個展『ヒビノキ遺跡』

初個展ヒビノキ遺跡の展示会場にて前年、わがクラブの10人が日報連に加わったことで弾みがつき、日報連の『四国展』ができないものかと高知支部から発案があり、準備を進めていたが、スムースに計画は進み、5月には「とでん西武」四県から180点の作品を集め、第1回四国展を実現させた。東は安芸に、西は中村や土佐清水にも分会があって、写真仲間がよく見える透明の時代のことだ。
 8月には、ぼくの見た『ヒビノキ遺跡』と題して記念すべきぼくの初めての個展を開催している。全紙に伸ばしたわずか35点の作品だったが、会場の喫茶『ばら』には遠く土佐清水からも足を運んでくれた写友もいた。