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【ぼくの県展回顧録】 第49回 平成7年(1995)高知県展                NO.25

前期後期制もやむなし

どんなに立派な器ができても、また県民が望んでいても、全館の使用許可がない限り、変わりようもないことがよく判った。年間2週間か20日間、県民に期待する伝統ある県展に、目をつむって明け渡すぐらいの粋な計らいをしたからといって非難されもしないだろうに・・・・。とにかく為すすべもなく、写真は今年後期ということで2期制に入った。審査員は昨年同様、我が師と仰ぐ植田正治先生。(県展に先立つ9月末、鳥取県岸本町に、植田正治写真美術館がオープンした。岩崎フォトクラブ、写団あじさいの植田ファン14名でその初日に馳せ参じている。前日のオープニングのお祝いのお疲れもあっただろうに、優しい笑顔の歓迎を受けた。)搬入を待つ朝食


 以前参与の杉本正先輩がまとめていた搬入状況をぼくが担当することになった。初日の午後から、搬入者が少しは落ち着いた午後の頃あいを見計らって、女性の倍との手を借りて出品目録から統計表をまとめる作業に入る。先輩から受け継いできた良い習慣で、時代の読める宝物だった。初調査の第49回データーからの数値は、搬入者総数578人(うち10代2人、20代22人、30代69人、40代142人、50代125人、60代148人、70歳以上70人)女性136人。
作品総数1769点(カラー1475点) クラブ関係者では19人が94点を搬入。

写真活動25年の節目の写真展

 ぼくの作品は長いタイトルになった『「遠島 近島 写心旅」より―ペラヘラ祭りを待つ家族―』この年県展を足場に写心活動を初めて25年になるということで、記念展と称し二つの写真展を企画した。
 一つは写俳展『旧佐岡村から』(ヨンデンギャラリー)、そして写真展『遠島 近島 写心旅』(ギャラリー星ヶ丘アートヴィレッジ)を同時期に展示、ご覧いただこうというものだった。どの後者の一点を、予告の意味で県展に出品したというわけだ。

第49回『「遠島 近島 写心旅」より・ペラヘラ祭りを待つ家族』スリランカ キャンディー 1995年

「星ヶ丘」でのバリ島の展示クラブ関係者では 褒状入賞は、黒川二三生『レッツダンス』。
以下入選作品
山村寿志子『フル・ムーン』。武内和子『手植え』。土居田鶴『廃車の3人娘』。吉田浩子『姉妹』。西内則明『水彩』。黒岩正『しゃぼん玉』。黒川和代『さくら・さくら』。高瀬宏『チェッカー目指して』。吉田公一『抵抗』。五百蔵速喜『日溜まり』。山崎静香『春風さん』。川村邦夫『うしろ姿』。野村節子『休日』。武内忠昭『立夏』。金沢あけみ『ゆう君』。
 チャンスを生かす「出会いは非常に大事なことで、心がけることは、自分自身がカメラの目になっていないといけない。めぐりあいのチャンスを瞬間的に判断でして逃さないようにすること、自分の目で感じ取って生かすことが大事だ。」(審査総評より)

「フィレンツェの辻絵師」

平成8年(1996年)1月、会報年頭のぼくの言葉だが7年の出来事が書いてあるので転載。


 年頭に今年の予定や抱負を書き連ねることができれば良いのですが、残念ながら、今年も白紙から始まってしまいました。それでも良いのではないかと思ったりします。
 と言うのも、1995年1月の会報の末尾に『今年は積極的に写真を撮るという一点を自分の目標に加えました。そこに付随してくる諸々はすべて享受する。と言うことで、また何かが生まれるのではないかとの期待を込めています。』と、具体性のない書き方をしていましたが、予期しなかった展開で一年が巡り、思いっきり好き勝手な事ができたし、不思議に充実した一年を送る事ができたからです。


 書家北古味可葉女史の大阪展のオープニングパーティーに、1月17日出席予定が、あの震災で果たせなかったことで、5月、星ヶ丘アートヴィレッジでの彼女の作品展にはいち早く駆けつける結果となりました。そしてギャラリーの平岡望オーナーとの出会いが、ぼくの25年の写真活動を記念する二つの作品展を生むきっかけをつくりました。
 自分一人で明日を拓くことは容易ではありませんが、他人の力を借りることで大きく明日を変えることができるものです。ここぞと言うところで、ぼくは良い人たちに出会います。価値ある邂逅です。そして仲間の協力を得て、一つの花を咲かせます。
それがぼくの足跡です。ベネティアで美女と


12月14日JPAニューカマー展のオープニングパーティーで上阪しました。出品作品は特殊フィルターや多重露光による特殊撮影、合成やコンピューター処理によりアート仕上げなどのトリック写真が大半で、ストレートのモノクロ者写真は権二郎さんのネパールくらいでした。パーティーのスピーチで、大阪芸大の南村氏が言った『真実を写し取ることの大切さを、カメラマンは見失わないでいてほしい。』にぼくは共感を覚えました。メイクした拓ボンこと川谷拓三


 2月には、青玄人でポルトガルに写俳の旅を、6月には、日伊俳句交流の旅でイタリアへ、伊丹先生団長に同行という格好で出掛けた。


 拓ボンこと俳優川谷拓三が22日肺ガンで亡くなりました。ぼくが京都の劇団にいた時代、東映のニューフェイス養成に当たったことがありますが、その頃大部屋にいて鳴かず飛ばずの拓ボンが、ぼくたちの稽古場へ真面目に通ってきて、演劇の基礎を身につけようとしていました。帰郷して後も、彼の活躍に注目していました。まことに残念です。15年程前の絵金まつりの夜、再会したことを思い出します。       合掌