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【ぼくの県展回顧録】 第26回 昭和47年(1972)高知県展              NO.2

フィッシアイはぼくの目  3点の入選が魚眼レンズ使用

県展初挑戦で思わぬ大穴に出くわしたものだから、2年目の出品は、もちろん魚眼レンズの作品が主軸である。サイズも前年の全紙から大飛躍して全倍サイズ。伸ばしたのは魚眼レンズを使用したものばかり。ところが、またまたその3点のすべてが入選したものだから、さあもう止まらない。すっかり「魚眼レンズ様」のとりこになってしまった。見る目がまさに魚の目になったようだ。


第26回 入選「暁の太公望」土佐山田町 戸板島 1972年『暁の太公望』は、戸板島の現在の橋桁が準備されていた頃の記録写真である。旧戸板島橋の少し川下、テトラポットの上に時の経つのを忘れたかのように釣りをするお年寄りを見かけた。竿を上げる気配もなく、動きは全く見られないが、ビニール竿を冠った座像にぼくを引きつける静けさが漂う。それが写欲というものだったろうか。釣りの邪魔にならぬよう、そっと声もかけ魚眼レンズで出来る限り近寄って太公望を主役にした構図を作り上げる。バックに魚眼レンズ特有の弧を描く橋を取り入れる。シャープな画像はf;8で超広角レンズの効果を十分発揮してくれる。撮影はバッチリ、仕上げもうまくいった。

第26回 入選「夏の苗取り」土佐山田町 予岳寺 1972年

『夏の苗取り』は、予岳寺下の苗代で2期作用の苗を農婦がひいているというものだ。背景に取り入れた農家の白い漆喰塀は由緒ある旧い屋敷跡ようにも見え、竹の竿に結び付けた日覆いのコウモリ傘は、レンズの曲面収差により、しなるようにフレームの中心で画面を引き締めてくれると言う構図だ。苗取りといえば別に珍しくもない年中行事だ。それが、かくも素晴らしい舞台や小道具までも用意し、ぼくの魚眼レンズの来訪を待っていてくれたのだ。
 『埋葬』は、搬入のとき受付に異様などよめきが起こったことを覚えている。それもそのはず、掘られた墓穴にゆっくり降ろされていく棺が主役となる写真だ。俯瞰のアングルで立て位置、棺の行方を確かめるように覗き込むひと、人、人。縁起でもない非常識だと言わんばかりの顔、こんなのありかよタブーじゃないのかの顔、とにかく受け付けてはくれたものの物議を醸す好材料だっただろう。


繁藤の災害現場繁藤で1日700ミリを越す雨量が記録され、追廻山が剥ぎ取られるように崩壊した。住民や消防士60人の死者を出す大事故になった。遠縁のおばさんもそれに巻き込まれて亡くなった。間もなく遺体が発見され、葬儀が行われ、ぼくは、新類縁者のひとりとして参列、そのとき葬儀の記録に数枚のシャッターを押した。その日は半分残った繁藤駅ホームの陸橋に立ち、土砂や岩石に埋もれた事故現場を目の当たりにしたあとだった。掘り返された黒い土、白い棺を中心に黒装束の参列者、白い被り物がにぶく輝く。悲しみの色にはハーフトーンはほとんどなく、黒と白の極端な階調による表現となった。撮影経験も浅く、表現パターンの単調なぼくだったが、それでも、なんとなくこれはモノクロ写真の世界だなと確認したことだった。
 入選作品の3点いずれもそれぞれに意味のある時代を切り取った記録写真となった。


 まだ、審査員に関する知識のまったくない時代のことだ。この年の大束元という人がどんな写真を撮っているかなど知るすべもない。カメラ雑誌などでよく見かける名前ならともかく、その後においてもあまり馴染みとなる名前ではなかった。


 写真修正術の大家を父に、明治の終わりに生まれている。商業写真家から朝日新聞の社会部員、そして中国大陸へ。戦時中はフォトジャーナリストの先駆者として活躍、さらにB29爆撃機の標識撮影。戦後は舞台写真、ポートレート、そして全日写連事務局長などと、活躍の場の広い人だったということも亡くなって後知ったものだ。そういえば『光雨』という審査員の作品、夜空に引っ掻き傷のようなゆらゆらした光跡、あれは花火の光跡だったろうか、それとも星空を縦に流したものだったろうか。今のように作品の絵柄から謎解きができるわけでもないし、さりとて聞ける人もなく、不思議と強く印象に残っているが、解明出来ずじまいでいる。手本にするには当時としては難解な表現だった。
 特選に選ばれているもので忘れがたいものは、やはり審査員と同系統の『ジェット機』(竹村和孝)空に一筋飛行機雲、ただそれだけの写真だったような、でもすごく新鮮な味わいだった。
 『冬日』(樫谷雅道)は父養寺の橋の元にある大木と石垣、オーソドックスでいて、かつ繊細な映像美を見せつけられる。がそれが、その後のぼくの励みとなったような気がする。