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【ぼくの県展回顧録】 第58回 平成16年(2004)高知県展               NO.34

個展『イタリア夢回廊』

 ギャラリー556(2月) ほのまる(6月) モルゲンロート(8月)
写団よさこいのよさこい祭りの展示『写団よさこい』の第2回目クラブ展は注目を浴びた、よさこい祭りの写真無料プレゼントが好評、入場者も千人を越して大満足。その時予告した『イタリア夢回廊』、仕掛けすれば、その後の会場が待つことになった。
 556ギャラリーには、伊丹三樹彦先生にも来高を願って、窪川町第37番札所の宿坊にお泊まりいただいた。





南無大師 岩本寺の絵天井  三樹彦

伊丹三樹彦と岩本寺先生の「出会いは芸術」の正に実践で、翌朝揮毫されたものを、近年句碑にしていただけることを、お寺の奥様に約していただいた。
 5月恒例の撮影旅行は一行15人から始まった。宿毛市沖の島で1、2日。3日大方町でTシャツ展、4、5日窪川から四万十川を下流に下った。最後はあきさんと栄子さんとぼくだけにしぼんだけれど。






 クラブ員の心を結ぶ毎月発行の会報が300号を迎えた。
 10月号より転載。

三百号記念会報発行に思う

写真を楽しむ趣味の一グループが、会報という形で300回も発行を重ねていくことはおそらくないだろう。三十年以上も続くというのは希有なことだと思う。大いに自慢したくもなるし、わがクラブの歴史を共に刻んできたことをみんなで歓びたい。
会報は岩崎フォトクラブ誕生に遅れること 一年と三ヶ月。というのも、その手本とすべき会報をぼくが手にしたのは、市内にあった『高知写壇』に入会してからのことだから。
 当時の『高知写壇』は日報連高知分会だった。安芸、土佐清水、中村各分会の頂点にあった。写真の先輩ばかりでなく、人格的にも立派な年齢の高い方が多く、ぼくは会員として一年間の入会を高知で許された。
 そこは、県展無鑑査、特選受賞者、写コン受賞の常連、高知写真界のツワモノの集団のようにぼくには見えた。未知の開拓にはモッテコイの修行場だった。例会の進め方(現在のとは少し違うが)、クラブのあり方や個々の自覚、そのルールみたいな約束ごと、遠出の撮影会、撮影者のマナーなど学ぶに十分だった。そして最高の組織に巡りあえた。会報300号
 長老川村晋一郎さんを中心にした会員みんなの和から沢山の教訓をいただくことになる。その中に井上清夫さんが発行していた会報があり、入会と同時に毎月送られて来た。会員相互の心を結ぶ素晴らしい手作りの情報交換誌だと感心させられた。
 始まりには、弾みのつくきっかけが必要だが、止めるのはいとも簡単だ。理由などいらない、怠けりゃそれでお仕舞いだ。あとはない。休みたくて合併号になったり、発行が遅れたり、ボリュームがなく例会記録のみでお茶を濁したりの月もあったが、何とか持ち堪えた。
 1975年1月ぼくの手書きからコピー取りの会報が生まれ、シャープのワープロ書院で打てるようなって、少しは編集レイアウトが加わり、120号で吉田のおんちゃんにバトンを渡し、その後静香さんのパソコン編集になって、西内さんのカラフルな得点グラフが加わった。時代は確実にパソコンの時代へ、そして2003年4月 藤田享実さんが会報係の大役を引き継いでくれた。 これから後もみなさんの手でこの記録誌の回を重ねていって欲しい。
 ぼく自身は来年の個展を機に、「県展35年誌写真集でも出版したいなあ」などと考えている。

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 昨年同様審査員は野町和嘉氏。高知新聞百周年記念事業で企画した、彼の『祈りの大地』展前の審査だった。そして、新パートナーとなられた榎並悦子さんの写真展は、土佐山田町立美術館にふたりで来館いただきオープンした。
搬入者総数601人(女性191人、40代62人、50代137人、60代204人、70才以上163人、50才以上の女性166人)。
作品総数1986点(モノクロ138点) クラブ関係39人、170点。納入金額40万でした。
クラブ関係の入賞入選は、
褒状  東富晋幸『フラワーデリバリー』。野村節子『戦い終えて』。小田切澄夫『歩けないよう』
入選  武内和子「青春アタック」。明石正「祭の日」。山崎静香「匂い香」。川村邦夫「夜店」。上杉欣弘「荒御輿」。吉田公一「冬日」。市山秀明「卒寿満開」。平野市子「花のあとさき(チングルマ)」。岩郷緑「笑顔の収穫」。小川あき「青春真っ只中」。金子美智子「気持ちいい」。川田みわこ「朝顔の少女」。北村光子「イランを生きる女」。清水辰彦「島っ子」。永野育子「シャブルの子(ネパール)」。三宮洋子「絆」。野嶋宥助「お清め」。安岡勝一「さあ・こい」。山下美代子「春の足音」。横山冨美子「貴婦人」。渡辺忠直「窓」。
 発見のある視点を持て「写真に必要なのは発見だ。発見とは、撮影者の視点だ。発見のある作品というのは決して偶然には撮れない。自分に見えないものは写真に写らない。」(審査評から) 昨年の特選に続く推薦の年、杉野節子氏は『少女』で百周年グランプリを仕留めた。ネパールの山村の、古い時代の光を少女は浴びていた。
 選ばれた上位作品については、毎年ぼくの解説用に、撮影過程を聞かせてもらっているが、受賞者の皆さんは努力の跡、探求し続けた跡、テーマをしっかりと掴み取っている跡、永年独自に追って来た跡など振り返ってくれる人が多い。その報われた人たちには心から祝福の言葉を贈りたい。借り物でない視点が更なる作品を生み出すに違いない。表彰の舞台で脚光を浴びて欲しい。

第58回「托鉢の朝」ラオス ヴィエンチャン 2004年
         「愛しき子たちの村」インド ムンバイ  第15回日本写真作家協会展出品 2004年

大先輩の背中を見た(クラブ会報H16、5)

 8月には米寿、88才を迎える書家福原云外翁を間近にし、カメラで狙う機会がいただけた。「ぼくは空気のような存在にならないといけないな」、まず、思ったことだった。先生の動きの中に溶け込んでしまえば、それでいい。2階のお弟子さんたちの稽古場が先生のアトリエ。ぼんやりそんな風に思いながら、いつものようにカメラの中に身を潜ませていた。
 アトリエは作家の戦場だ。名作のように紹介されてきている、製作中のアーティストの厳しい姿は、凄いとは思っても、残酷に見えて、足を踏み入れることが憚られ、ぼくの好みに反するものだった。
 中沢仁氏から「墨を磨るところから撮らないかんぜ」と助言をいただいて出かけたが、約束の1時かっきり訪ねると、もう書き損じた和紙の山ができていた。『得牛』の文字が読めた。リズムは掴んでいるように、体勢がしっかり整えられていた。二文字を書き上げて、そして『云』のサイン。その反復、ぼくにはその出来ばえ、仕上がり具合い、完成度、失敗、そんなもの分かりッこないが、一枚の半紙に、5つないし6つ書いて厳しい自己判定しているのだろうか、じっと眺める。何枚か書いた後、一カ所だけ折り込んで襖にピンで止めて、「形が掴めかけた」ような呟き。一つとして同じ姿でとどまらない『得牛』。
紙の上に、腰を浮かせてしゃがむ。左の握りこぶしに力が入って、それでも一枚書き上げるまで、身体の位置をずらせるだけで、休む気配なく、ペ福原伝外翁とースを崩さない。途切れることのない緊張感。持続できる体力、この年齢で、一時は骨折や怪我ですっかり衰弱しているかに見えたのに、今の日があるなんて想像を絶する復調ぶりだ。
 書展などでお弟子さんたちにガードされている姿を見かけることがあっても、その弱り目の先生にはカメラが向けられなかった。
 コラボレーションと云う形式で、幸運にも同次元を共有する幸せをいただいた。更に今回、ぼくは云外翁の衰えぬ気迫に接することがでた。写俳の師三樹彦にも感じた畏敬、実のところ真の凄さは、ぼくが八十を越すまで分からないかもしれないけれど、5月2日には自分が66才の誕生日を迎えるに当たり、20才程先輩たちの姿を今見て、書き留めておきたかった。