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【ぼくの県展回顧録】 第57回 平成15年(2003)高知県展               NO.33

『写団よさこい』第1回写真展開催
 岩崎フォトクラブ展も好評大入り

1月28日〜2月2日、市民プラザかるぽーと7F第5展示室に、22人の心が一つにまとまった。事務局担当に徹してくれる上杉氏の人望が生み出した成果に他ならない。観覧者も多く、次回への弾みがついた。
 四つのクラブ、三つの写真教室、新学期には大学と多忙な日々が過ぎ去っていく、自分自身のこの煩雑さを整理するために、毎月の詳しいスケジュール表を会報に載せることにした。かといって何の解決にもならないが、その規律のようなものが気分転換を果たしてくれた。
 4月、岩崎フォトクラブは会報係が藤田享実さんにバトンタッチ。デジカメとパソコンとメールとインクジェットのカタカナ時代に突入した。
 5月、連休利用で2泊3日の四万十川を遡り撮影行を果たした。
 6月21日〜7月6日、野市図書館3Fでクラブ展開催、1300人の予想を越す来場者にただ感謝。
審査員は45回展以来の里帰り審査の野町和嘉氏。
搬入者総数615人(女性179人、50代175人、60代196人)。
作品総数1986点(モノクロ138点)
クラブ関係では41人、185点を搬入した。毎日新聞高知支局の3階で熱心な写団よさこい
入賞入選作品は次の通り。
褒状、小田切澄夫『あっおいちい!』
入選、
野嶋宥助「怒る獅子」。永野育子「おてやわらかに」。安岡勝一「闖入者」。山下美代子「祭り囃子」。西岡季子「白馬を行く」。上杉欣弘「おすきにどうぞ」。川添秀子「語らい」。田村啓「ナーシクの少女」。西森京子「街角のポエム」。宮村洋子「初めてのよさこい」。横山冨美子「一休み」。岩郷緑「小雨参道」。三宮洋子「イルミ・ラブ」。北村光子「チャイハイでの語らい」。川村邦夫「雪の降る街で」。東富晋幸「ナザレ裏通り」。松田一義「回想」。武内和子「ン・ナンダ?」。山崎静香「おわら夜流し」。高瀬宏「激走」。土居田鶴「春のおとずれ」。吉田公一「豊漁」。毛利弘人「光景」。小松重貞「登り来る人達」。
 ぼくの作品は『愛しきものへのオマージュ』。インドは西部に雨期の頃出かけた。ムンバイの郊外で立ち寄った村の生活は、素朴で自然が溢れていた。人間採集派としては、うれしい潜入。出品作品は、飾り気のない素朴な親子と姉妹という組み写真にした。優しい心の持ち主たちの静かな村の営みに讃辞を送り、しばらくはカメラを置いて眺めていたい。

第57回『愛しきものへのオマージュ』2枚組 インド ムンバイ 2003年

 被写体に踏み込もう「50、60、70代が圧倒的に多く、精神的、経済的に余裕がありよい趣味になっているようだ。自分自身の創作心や体全体でぶつかっていく姿勢が欠けている。新しい出会い、発見、手応えがなければつまらなくなる。自分の視覚で物を捕らえるという姿勢が重要だ」(審査評から)
 ぼくが注目した作品は県美術振興会奨励賞に輝いた初受賞の戸梶忠俊氏『暁光』だった。自分の守備範囲の中から発見した独自の世界が見えていた。模倣を許さないスケールの大きさを感じた。 

写真家秋山庄太郎氏との出会いと別れと(H15.2月クラブ会報)



 県展も34回目に遡ると20年以上が経っていることに気付く。そのころは挑戦というにふさわしいほど、ぼくの写真には一途なものがあった。黒はあくまで黒くとか、ハイキーで直情的だとかの表現方法。モチーフに闘犬や軍鶏(シャモ)を選ぶだとか、自己を高ぶらせようと必死だった。10年近くも出品してきたのに、褒状は取れるが頂点に到達しない焦りがあった。
この回は秋山さんの審査だった。闘犬が褒状に選ばれた。前年クラブの5人もが褒状を取っているのに、ぼくは平(ヒラ)入選という不名誉な結果で、やりきれない悔しさを味わっている。相変わらず魚眼レンズの画角を借りての入賞となる。35回目も秋山さんが来られた。初出品したカラー作品『絵金祭りの夜』が褒状に選ばれていた。後にも先にもカラーで入ったのはこれだけ。その講評会の席で、「カラーの勉強はどうすればいいのでしょうか」とぼくは質問をした。「日本画を見て勉強すると良いですよ。色使いはもちろん、構図の勉強になります」と答えてくれた。
翌年、『とうとう来たか』と感想をもらしてしまった、待ちに待った特選がぼくに転がり込んできた。三回連続特選という至難の快挙を生むきっかけを作ってくれた。秋山さんが、ぼくにもう少しだぞと言わんばかりの連続褒状で大きな弾みをつけてくれたような気がする。
20年の歳月が過ぎて昨年8月、我々JPA展のオープニングパーチィ−に来賓で来られた。写真誌やテレビで近況は見知っていても、顔をあわすのは20年振りのこと。病み上がりのように、足はおぼつかなく杖をついており、表情は余程の老人のように堅く、椅子に佇む風貌はこれが花の美しい姿を撮る秋山さんだろうかと、信じられないほどにぼくには感じられた。しかし、乾杯の音頭となると大御所の風格だった。
先日訃報を聞いた。写真ジャーナリスト岡井耀毅さんの追悼文も読ませていただいた。あのパーティーで同席された岡井さんと秋山さんをお見かけしていた。そのお二人がご一緒にお話している写真が奇しくもぼくの手元にある。あの日ぼくはカラーとモノクロで秋山さんを追っていた。今度JPA総会にでも再び来賓でお見えになったら、お渡ししようと10枚程、プリントして抱え込んでいた。残念ながら、県展挑戦のあの日の感激も、アマチュアの喜びも伝える術はななくなった。