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【ぼくの県展回顧録】 第54回 平成12年(2000)高知県展               NO.30

嗚呼 植田正治先生の急逝   県展馴染みの3回審査

 岩崎フォトクラブ挙げての第2回目『ミレニアム写真展』開催中の7月4日帰らぬ人となられた。あれだけ私淑していた先生の訃報、飛んで行き、お見送りしたかった。どうにも動きがとれない会期中の悲しい悪夢だった、辛いクラブ展が続いた。


 県展審査員は植田先生と因縁浅からぬ女性カメラマン沼田早苗さん。
 ぼくの今年の出品作品は『嗚呼・大山(植田正治写真美術館にて)1995年9月』とし、先生の霊前に捧げる意味合いを含んでいた。
 写真美術館オープニングに駆けつけて、植田正治スタイルをいたずら半分に模倣したものだった。モノクロネガの中には、たった一枚このコマがあるだけの貴重なものだった。あれから5年の歳月、その間先生は審査に2回来られている。沼田早苗さんが撮られたポートレートが先生の大のお気に入りだった。
 山陰は境港に生活され、中央に通じ、世界的カメラマンとして仕事をされていた、その心はと言えば「アマチュア精神を忘るべからず、一生現役ですよ」と笑いながら、さらりとおっしゃていた中国撮影旅行のミーチングの夜が思い出される。
 この偉大なるカメラマンを、心に師と仰ぎ、言葉を交わし、短い時間ではあったが、近づくことのできたことをぼくは誇りとし幸せと感じる。そう『嗚呼・大山』は植田先生の象徴なのだ。


搬入者総数626人(女性173人、40代99人、50代191人、60代169人)。 作品総数1941点(モノクロ203点)。
クラブ関係の入賞入選は次の通り。
褒状は山崎静香『おわら初舞台』。大人たちの足の間で、伝統踊りをしっかりと受け継ごうとする幼児なりのすがたを捕らえていた。
以下入選、クラブ展の作品前
野村節子「さゆりの夢」。岡本亜子「ベランダの夏」。上田美和「別れの時間」。吉田公一「狙う」。市山秀明「夏草の賦」。松田一義「好日」。土居田鶴「晴れの日」。東富晋幸「モンゴルの少女」。宮地幸「祭りの日」。吉田浩子「メモリー」。竹内忠昭「シグナル」。川村光顕「出合い」。黒川和代「樹界」。



 日常の出来事とらえて「地元ならではの良さについて意識して審査した。上位となった作品は結果的にそこに住んでいる人しか撮れないような、日常生活の中の出来事をとらえた写真が多かった。何を撮っているのかテーマをはっきりさせる、花なら花のどこが良いのか、それをどう見せるかポイントを明確にする。組み写真はただ組むのではなく、組むことの意味を考える。」審査のあとの講評をすることなく、さっさと東京へ帰られた。

この年の年頭の会報から。
 定説では、2001年から21世紀になるそうで今年は今世紀最後の年ということです。更にこのところ「ミレニアム」という言葉がよく使われているように、1年から数えて千年を千年紀(ミレニアム)と呼ぶそうで、今年は1000年に1回しか巡って来ない第2ミレニアムとか。
 世紀末で2000年を捉えていると、個人的には反省や総括の年になってしまうので、ここではその逆をいきたいというのが本心です。
 とすると「0から出直し」や「0からの出発」という言葉があるように、切りのいい2000年は、何かしら気力を起こさせるニュアンスをもって聞こえて来るではありませんか。されば新世紀の始まりのような気分にもなることができますね。
3月、写真教室の皆と写真展「桜夢幻」の藤田玲子さんを囲む 1971年、県展(25回展)から始まったぼくの写真活動とすれば、丁度今年は30年目に当たります。1999年2月頃から撮り始めた「ギャラリーの輝くアーチストたち100人」を写真集と写真展で見ていただく2000年、それが更にまた、ぼくの21世紀へ繋がるライフワークになればと願う年です。
 昨年後半になってありがたい指名がかかり、11月から始めた高新文化教室の「カメラを楽しむ」も、自分なりにペースを掴んで軌道に乗せたいと思っています。1期生を送り出してから、次どう進めるか課題になるでしょう。
 年頭に受けた高知県美術家協会の新ポスト副会長(広報紙担当)。多くの新しい人との出会いを記録できるチャンスを与えられて、今も大いにハッスルといったところです。
 8月には高新画廊で、写真活動30年記念写真展『1999〜2000年 輝くアーティストたち100人の現場』が開催できた。 写真集も出版し、アーティストたちも加わった記念パーティーも賑わった。


第54回『嗚呼、大山(植田正治写真美術館にて1955年9月)』鳥取県岸本町 2000年(H12年)