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【ぼくの県展回顧録】 第52回 平成10年(1998)高知県展               NO.28

前期県展水没  県立美術館は水族館か

 県展開幕の2日目の午後から降り続いた雨は、雷をともなった集中豪雨となった。増水した国分川からは怒濤のごとく大津へ、そして夜半を過ぎては湿地帯高須へと広がり、県立美術館をも呑み込んでしまった。為す術なしの惨憺たる事態が起きてしまった。
 このことについてぼくは、一県展人として、痛みを共有するものとして、書かずにはいられなかったのだ。それを高知新聞学芸欄が採用してくれ、『月曜随想』として載せてもらえた。10月5日付けの紙面より転載。


 また、それ以降に観点を変えて書いた一文を、高知県美術家協会の機関誌『杜』にも載せた。1枚の写真の持つ意味と美術館への非難も含めた書き方にはなったが。『杜』1998年12月 No.27より転載。


 結果的には復旧もそこそこに、翌年1月洋画部門などの後期展が終わった後、10名程の止むなき不参加があったが、ぼくらの前期は復活展として再開された。       
 審査員は昨年に続いて竹内敏信氏、審査員の作品といえども例外ではなく水浸しとなった。


 搬入者総数594人(女性135人)、2013人、60代
176人、作品総数1933点(モノクロ214点)。
 クラブ関係23人120点。
 ぼくの作品『青春プロローグーよさこい祭りより』。もうぼくらには過去形になってしまった青春の、香り漂う恋の始まりを予兆する一シーンになった。映画ならこれをファーストシ−ンに持ってこよう。このアップからミディアムに、
フルサイズからよさこいを踊る群衆に、乱舞に・・・ふたりは入念に踊り支度を整える。いつもそんな思いを込めてはいるが。
 さても、縦位置作品一点掛けゆえ、彼女の胸元まで水は押し寄せていた、痛々しい水垢跡が一文字にくっきりと残さていた。
推薦は山崎静香、ブルー基調の『白い月』。
褒状入賞
武内和子『歓喜』。身体全身で表現した喜びを、跳躍や影やハイキー魅せた。
武内忠昭『終わりの始まり』。花火の深紅が滲んだヤシ並木、だれも思いつかない彼ならではの表現が輝いた。
以下入選作品10年のクラブの新年会
野村節子「挽歌」。土居田鶴「いなぎの里」。川村光顕「飛瀑」。西内則明「レッド・ポイント・エリア」。明石正「少年」。宮地幸「水あそび」。川村邦夫「応援団長」。松田一義「凝視」。上田美和「豪」。吉田公一「お留守番」。岡本亜子「WHO ARE YOU?」。毛利弘人「廃屋」。黒川和代「少女のゆめ」。五百蔵速喜「挽夏」。
 撮る者がどう見たか「写真は生きとし生ける者の記録。それを撮る者がどう見たかということが結びついてこなければならない。全体からは1年間の身辺を軸とした動きが感じられた。」(審査評)


こんな痛手を被った年ではあったが、地方展の方はそれぞれに活気があり、ぼくは安芸市、宿毛市、土佐清水市へと審査に呼ばれていった。 特記すべきは野町和嘉氏の写真展『サハラ・チベット』が7月から8月にかけて、美術館で開催されたことだ。『チベット天の大地』は、ぼくが東京銀座で見て、4年の歳月を経ていた。 

           第52回『青春プロローグーよさこい祭りより』高知市 中央公園前 1998年

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『よさこい祭りモノクロ劇場』 12枚

兄片木太郎のこと「不憫な『暗い風景』」

 兄と一緒に出かけた審査は、この年の第8回佐川芸術賞祭であった。市展の審査に兄もよく行っていたので、度々一緒になりそうなものだが、不思議な程そんなチャンスが廻ってこなかった。洋画と写真、兄弟が揃って審査に出向く。兄貴はどう思っていたかは知らないが、弟のぼくにとっては、兄の足下に少しだけでも近づけた喜びがあった。しかしそんな喜びは最初で最後になり、2度と訪れることがなかった。
 皮肉にも、美術館浸水で溺死状態になった作品の中に、兄の『暗い風景』が含まれていたことをぼくは後に知った。学生時代に描いて特選になり、その後手元を離れていたものを買い戻し、再び請われて美術館に収蔵された曰く付きの作品だった。縁のない不憫な奴だと顔を曇らせていたのを思い出す。最高の技術を持つ教え子たちの手で修復されて、県立美術館第一展示室に帰って来たとき兄貴太郎はそこにいなかった。