印刷用表示 |テキストサイズ 小 |中 |大 |


〒782-0031 高知県香美市土佐山田町東本町5-3-26
TEL/FAX : 0887-53-4034

HOME > 岩崎勇 写真集 > ぼくの県展回顧録 NO.26

【ぼくの県展回顧録】 第50回 平成8年(1996)高知県展                NO.26

伊丹先生とのデュオ実現
写俳展『バンクーバー夏物語』と『旧佐岡村から』

先生から借り受けた作品と昨年ヨンデンでご覧いただいた自分の作品をあわせた、いわば師弟のデュオを企画したものだ。野市図書館3階に程よい展示ができ、先生をお呼びするに十分な催しになった。馴染みのない写俳展が県下に浸透していって欲しい願いを込めていた。『女六人写真展』は7月末のこと。節子、幸、和子、田鶴、浩子、静香、の新メンバーで『やるわよ展』といったところ。節子は地元吉川の荒海を、幸は仕事場園児の表情を、和子は生きる喜びを、田鶴は火事の中から救い出したネガを、浩子は外国へ行った時のものを、静香は動的なものを、とそれぞれ個性がぶつかりあう注目の六人展になった。
審査員は英伸三氏
搬入者総数633人(女性143人、40代166人、50代143人、60才以上236人)、
出品点数2024点(カラー1687点) クラブ関係からの搬入は21人、96点
 ぼくの作品は『雪と名付けて(スリランカ)』。ネゴンボで出会った幸せな若夫婦。日本にあこがれ、モーターバイク組み立ての仕事をしてきたという。スリランカでは絶対見ることのない真っ白い雪の美しさを、生まれた娘の名前にしたのだと誇らしげに語った。表には日本製のモーターバイクが置いてあり、落ち着いている風だったが、最後に日本語で「わたしの働くところはないですか?」と出稼ぎの意思を示した。傍らの奥さんにはその言葉が理解できたのだろうか。

第50回『「雪」と名付けて』スリランカ ネゴンボ 1996年
「雨やどり」バリ島   第7回日本写真作家協会展出品

褒状入賞は  野村節子『残像』。明石正『少年』。土居田鶴『水の彫刻』。
以下入選作品
吉田公一『出漁』。武内和子『帰り道』。宮地幸『シャワー』。川村邦夫『発射』。西内則明『TLME AM100〜300』
小松重貞『燃える女』。黒川和代『みちづれ』。黒川二三生『山里讃歌』。五百蔵速喜『ある日私は』。高瀬宏『激闘の果て』。
 県展大賞は特選の福田芳孝『ターンアバウト』、井関拓『エルモロ族の母と子』、安丸修身『挟まれて!』。
搬入の日の朝食は美術館前で
生活の実感受け止めて「風景や人間とのかかわり方を狙ったものが多い。撮影のためだけにではなく、被写体ともっと深くかかわって欲しい。農村や漁村,街の暮らしを自分のこととして受け止めて欲しい。そうすることで暮らしの実感が撮影者に伝わり掴みきれなかったものが、つかめると思う。一人で自覚を持ちかかわっていくと、深いつながりもできる。テーマを大事にして、独自の方法やアイデアを考え、いい作品を残して欲しい。」(審査総評から)


 クラブ会報4月より、この回顧録のもととなる『ぼくの県展回顧録』の連載を始める。(10回で中断、現在に至っていた)
6月には200号を迎え、到達感に満足したものだ。


クラブ会報3月196号より転載。

植田正治先生のこと

植田先生とのツーショット この半年足らずの間に、ぼくは上田正治先生に3度もお目にかかっている。
 はじめは、昨年9月オープンの初日に、クラブのみんなといっしょに訪れた、写真美術館でお会いした先生の晴れやかな姿だった。その語り口調は誇らかでいて、15年前に初めて会った時の印象を、今もそのまま持続しているかに見え嬉しかった。椅子にどかっと座った先生独特のポーズは、背景の大山の勇姿そのものだった。
 それから10日も経たない県展搬入の日に、審査で来高された先生と、わずか半時間ほどであったが、お茶を飲みながらお話しができた。受け付けた作品置き場に案内しようと長い廊下を前にしたとき、一瞬躊躇するかのように足を止められたので、不自由されている足のことを察し手を差し伸べた。と、すがるような先生の手がぼくを掴んだ。手をとって歩くわけにもいかず、左肩を先生に向けると、その肩へ手を置いて、ゆっくりと歩かれた。 
 前年の審査の後の懇親会の席でも、先生の腰の下に座布団を敷いて、楽な姿勢になっていただいたことを思い出す。その時「もうあの時のように、シルクロードも歩けないや」と45度の灼熱の火焔山をいっしょに撮影した思い出を懐かしみ、弱音を吐かれたことだった。歩くことだけでなく、座ることの不自由さも嘆いておられた。
 審査会場になる作品置き場でも椅子を用意し、座っていただいた。アサカメの印籠カメラ写真帖のこと、写真集のこと、新製品カメラの試写のことなど写真を楽しんでおられる様子が察せられた。その後、搬入を済ませて屋外に置いてある立体部門のオブジェに関心を示され、携帯していたコンパクトカメラをしばらく覗いておられた。
美術館内で先生との記念撮影 そしてこの2月4日高知県美術家協会で山陰への研修旅行に出掛けた際、お会いすることとなった。先生に予告してあった時間より2時間も早く写真美術館に到着したため、もうお目にかかれないのではと、あきらめ半分で受付嬢に電話連絡を頼んだところ、思いがけなくも携帯電話が通じ、車で駆けつけてくださった。 一行27名の待つぼくたちの前に、杖をついた先生が現れた時は、たまらず胸にじんときた。二重ガラスの向こうに立つ先生に駆け寄ったが、その風貌の変わりようがひどいので、思わずどうかなさいましたかと聞いてしまった。
 「1月10日、雪の中で転んじゃってね、歯が飛んでしまうほど顎を打ち、骨折で入院してたんですよ」「もういいんですか」「ああ、大丈夫。便所へ行ってきます」と、ぼくに杖を預けて去って行く。ああ、こんなにまでして、わざわざぼくのために大切な時間を与えてくださる写真家がいるだろうか。サインしていただいたり、いっしょに記念写真を撮ったり、次の足達美術館へ移動するわずかな時間を植田先生にいただいた。参加の皆さんにも満足していただけた。