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【ぼくの県展回顧録】 第36回 昭和57年(1982)高知県展              NO.12

とうとうきたか!特選  中国の『散髪』に幼い日を

12年目にして花咲いた、遅咲きの花。とにかく欲しかった特選。いつの日にか俺の頭上で太陽は輝いてくれる、そう確信してはいたが、それが何時なのかは見当がつかなかった。人生には冷や飯ばかりで一生ということだってあるのだ、そんな心細さで萎えそうにもなった。高知新聞『特選の顔』取材で「まさかという気持ちと、とうとう来たかという気持ちが半々でしたね」が真っ先に出た言葉だった。写真を本格的に撮り始めて「何千、何万回となくシャッターを押しましたが、一枚一枚に心血を注いできたように思います」とも言っている。締めは「カラーもだけど、ボクは白黒でいい色、いい味を出したい。それが念願です。・・・・顔はぼくのテーマになるかもしれません」44歳、ぼくは晴れ晴れと芸術の秋を迎えていた。『散髪』。8月、植田先生と再び中国はシルクロードの撮影に出向いた。入国の翌朝、上海の民家で目に留まった散髪風景だった。初特選の記事と顔そこに幼年期の自分自身と幼い子供の顔に我が子がダブって見えていた。写り込んだものは、澄んだ瞳の子供と抱いた逞しい父親の腕とハサミを操る男の手だった。ぼくが感じているモノは戦後の疎開先の山上であり、親父が使う油の切れたバリカンの音であり、髪が抜けそうな痛みにぼくは堪らず悲鳴を上げている。涙が乾いてしまわないうちに澄んだ目を撮っておこう。ぼくもまた息子の散髪をしたことがあった。あの時、ぼくはひとりっ子政策を象徴する中国の顔に遭遇していた。
 これに先立つ7月には、57年前期よみうり写真大賞の報道部門でぼくは2席をいただいていた。昨年の中国撮影旅行から、『中国の笑顔』5枚組みを作り上げ応募したものだ。まだまだ彼の地はイメージとしては暗い時代だっただけに、それを払拭する笑顔がキーポイントだった。ぼく流の声がけが効果的ないい顔ばかりを寄せ集めたものになっていた。

第36回 特選「散髪」中国 上海 1982年

 特選に選ばれた後2点は、蒲谷秀幸氏の『とんぼ』。長田勉氏の『初夏』。安芸市の野良時計をモチーフにしたもの。これらはカラーであり、いよいよカラーが幅を利かす時代になっていくのかの感を強く持った。
搬入者数479人。
作品総数1714点、カラーが859点、モノクロが855点でおよそ半々になっていた。
審査員は八木下弘という、後に知ったことだが土門挙門下の方だった。
入選作品は次の通り。

門脇悟『放牧の朝』。明石圭嗣『おばあちゃんが死んだ』。三木孝重『係留』。前田日出男『飛ぶ』。明石正『昼下がり』『少女』。小原健天『麦ワラ帽子の老人』佐竹博『かえり道』。岡村政則『穴』。寺村一雄『老婆と僧』。門田博道『白い道』。よみうり写真大賞報道部門2席「中国の笑顔」フォトクラブしばてん発足


昭和57年前期 よみうり写真大賞報道部門2席「中国の笑顔」