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【ぼくの県展回顧録】 第34回 昭和55年(1980)高知県展              NO.10

県展郷土文化会館に帰る  最大が全紙サイズに

 ぼくの県展挑戦も10年目を迎えた。力となる仲間たちとも一喜一憂の10年を送ったことになる。写真年齢の若さは、絶えず新しい天地を求めるもので、この年、第1回目の土佐・西南美術展が中村市で開催されると聞きつけ、同志を募って出品することにした。
 県展よりひとあしもふたあしも早い8月のことだった。猪野、田原、新田、吉田、寺村、都築、門田、岩崎8名18点が入選。成績は上がらなかったが、高新の記事には土佐山田からの出品を特筆してくれていた。岩崎フォトクラブの存在をアピールできたと思った。
 さて、県展の写真部門は、全倍という大型サイズが一般化している上に、出品者も増加傾向にあり、広いスペースを必要としていたがゆえに、大丸・教育会館とひとり仲間外れの旅を続け、落ち着く場所を求めて5年間もさまよった。仕上がりサイズを全紙までとしたことで、やっと他の部門と同様郷土文化会館に展示してもらえることになった。
 サイズが小さくなったことで搬入数も増えるかと思いきやそうでもなく、前回より47点少ない1404点止まりであった。審査員は『花と女優』の当時写真界の第一人者秋山庄太郎氏。


 わがクラブで扱い出品した点数は、ちょうど90点。店のお客さんの写真まで預かって行くものだから、相変わらず大口の投資者になってしまう。


 褒状に輝いたのは、当時の若手のホープ前田日出男と岡村政則とぼくの三人だった。
 『屏風の主』は前田。この年は赤岡の絵金祭りに、『拝啓おふくろ様』で人気急上昇中だった「拓ぼん」こと故川谷拓三氏がNHK高知放送局の番組収録で来ていた。ぼくが京都の劇団にいた時代、彼は大部屋の切られ役、太秦(うずまさ)東映撮影所でいっしょに芝居作りをした仲間だ。メイクをしている姿をスナップさせてもらって、夜間ロケにつきあった。屏風の上から生首のように覗く顔、日出男はそれをうまくキャッチしていた。仕上げは、暗い画面の中にスポットライトを浴びた不気味な顔と絵金の屏風絵の一部が浮かび上がった最高のシーンの出来栄えだった。
 『水あそび』岡村。彼の息子のショットだ。兄弟で水の散らしあいでもしているのか、両手で跳ね上げた瞬間を望遠レンズで捉えていた。少しピントがあいまいで、それがかえって水しぶきといっしょに動感として伝わる、いい作品だった。
 審査に来られる先生方の知識も多少は蓄積されて、当たり外れはあろうとも、搬入までその傾向と対策などを練ってみる楽しみも増えていた。自作により自分自身を賭けてみる冒険もあれば、クラブの者の目を引く作品には出来る限りの手をつくした。選択したネガが投げかける難題は持てるテクニックを駆使することで、実践の場を踏ませてもらった。
 矢野一『私のノートブック』。上森陽『ポスター』。都築和郎『朝もやの校庭』。三木孝重『幼い日』。寺村一雄『行者』。岩崎昭雄『クリーン』。吉本元『夕暮れ』。門田博道『秋祭り』。田村泰章『盲人』。小原健天『障害を乗りこえて』。
今まで順調に上り調子できた新田澄雄氏は、JRの鉄道公安員廃止に伴い、車両から降りて警察官に転身し、ふるさと佐川町へ帰り写真から遠ざかることになった。そして、高知駅前交番の所長さんに。

第34回 褒状「闘犬」土佐山田町 役場前 1980年

 ぼくの褒状は『闘犬』。写真を始めて間もないころ、町内で開かれた闘犬大会に遭遇、その魅力に取りつかれ中村市や夜の高知城追手門や龍河洞など、闘犬大会の追っかけ撮影をしたことがある。そんな闘犬シリーズの一枚だ。魚眼レンズを持ち出すと必ず傑作が撮れるの暗示が功を奏した例。丸い土俵にはフィッシュアイがマッチする。

特選には風格あり

やっと写真屋さんらしい顔になった新築店舗 特選作品は、故森岡盛一氏の『冬空』。
ススキが風にざわめく道。葉っぱを落とした枯れ木が右前方に立っている。着物を着た少女二人(姉妹)が手をつないで歩いている。後になり先になりしながらの様子がよくわかる。空には焼きを効かせた暗い冬の雲が垂れ込めている。野市町の広報誌に載る
無鑑査になるに相応しい実力派、森岡さんの3度目の特選作品だった。高知写壇の力強い牽引車で、ぼくがもっとも尊敬していた先輩の一人。岩崎作品のありがたい理解者であり、ぼく高知写壇の一員であるかのようによく目をかけてくれた。
 武吉孝夫氏『晩秋』。
絵画的で単彩の日本画といったところ。屏風絵のような不思議な世界に目を見張る。その後間もなく写真屋稼業に専念し、県展に出品することを止めた。個展をやったり、ギャラリーを開いたり、写真集『津野山郷』を出版したり、四万十シリーズの絵葉書を次々出すなど、堅実な仕事をその後もしてきた。
 公文正昭氏『いたいっー』。
散髪中の一瞬の表情。押さえる左手とバリカンを使う右手が男の子の頭上にある。体をよじって痛がる子供の顔がユーモラスだった。
 全倍ほどの凄さはなくなったが、全紙というサイズであっても、これらの特選には、ぼくの及ばない風格があった。