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【ぼくの県展回顧録】 第25回 昭和46年(1971)高知県展              NO.1

初挑戦が褒状に輝く☆!  モトクロス野郎でスタート


第25回 褒状「モトクロス野郎」 土佐山田町 雪が峰牧場 1971年  ぼの作品が県展会場にはじめて展示されたのは、第25回展のことである。しかも銀ラベルの勲章付きときた。驚いたも喜んだもない、無感動というわけではないが、周囲の状況が分からなものだから、ああ、こんなので褒状になるのか、ぐらいにしか受け止められなかった。 写真の良し悪しもまだ分からないヒヨッコの時代だ、どんなのが作品とよべるものか、皆目見当もつかぬまま出品準備に取りかかった。写真屋とは名ばかりで、プラモデルを棚一杯に並べて、子供達を相手に暇を持て余していた頃だ。夜になるとその店先を片付けて、暗幕を張り回らし、にわか暗室をセッティングする。ところがぼくには1年前褒状になった保木林氏の『石灰工場のある風景』をプリントした経験がある。今になって言えることだが、それはぼくが全倍サイズを初めてプリントした焼き失敗(露光不足)のような、恥ずかしい作品であった。そんな表現を褒状として評価したのだ。ゲニおかし?ではないか。その程度だから、自分の作品を仕上げる段になると心細いことこの上もない。経験豊富な者につき合ってもらえると、そのつど調子の確認ができる。そう考えて、ぼくよりは写真に明るい「かがみの育成園」に勤務の浜田圭志氏に協力を依頼した。 いざ全紙サイズの仕上げとなったところが、ああでもないこうでもないとすべてが否定的、悲観的な、模索の状態である。ぼくより少しは写真の知識があるというだけで、彼も実は大伸ばしの経験皆無で、その基準値が見当たらないときた。お互いの焼き濃度の目安が立たない、それでもふたりで苦闘の末、バライタ紙を使っての水張りのパネル仕上げまでに持ち込んだ。 こわいもの知らずとは、無謀にも見えるが、反面すばらしい力でもある。とにかく心血を注いだ4枚のパネル写真ができたのだ、出来栄えも評価も二の次だ。新聞紙に包みこんで、独り郷土文化会館の晴れ舞台へと搬入に出掛けた。誰一人知る人のいない会場の受付けで、説明を聞きながら出品目録に記入、搬入をすませた。 当時、県民ホールの大会場での展示が続き、全倍サイズの大作が一般化し、定着していて、名もないぼくの小さな全紙など目に止まるはずもない。受付に陣取っている参与のお歴々や会場委員の面々の姿もぼくにとっては無縁の人たちだった。とにかく、県展への参加権を得たと言うだけで満足だった。審査がいつどのように進んでいるかなど、まったく知らぬ世界のこと、そして、入賞発表がいつのことなのかも知らずにいたものだ
第25回 入選「鞘師』(父・片木新吾)1971年
 近所の喫茶でお茶を飲んでいた夕方のこと。樫谷雅道氏がわざわざ「岩崎さん褒状らしいよ」とホットな朗報を運んでくれた。にもかかわらず、ぼくにはその価値が理解できず、実感の伴わない入賞通知だった。佐岡の半坂(現在雪が峰牧場)でモトクロス大会があり、スタート前の若者に肉迫して撮った『モトクロス野郎』がたまたま入賞したに過ぎないのだ。実感の湧きようがない。そしてもう一点は、父の仕事場をただ撮っただけの『鞘師』が入選だ。2点とも、手にして間もないお気に入りの魚眼レンズが生み出してくれた作品たちだ。タル状になる独特の視覚が物珍しく、新鮮でもあり、ぼくの嗜好にあい、思いっきり楽しむことができるフィッシュアイとの付き合いの始まりである。





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入賞者の顔触れを見る 複数点数の入選あり時代

当時の土佐山田駅南北通り 審査員は、1990年12月に5年間の闘病の末、肝臓ガンで亡くなられた林忠彦氏。出品点数は1489点、特選、褒状、入選併せて250点が選ばれている。 ただ今日のような一人1点ではなく、4点も入選している故川村晋一郎さんの名前があるように、2点以上の入選者は20名を越している。10~15点もの出品をする、そんなベテランたちと肩を並べてぼくの2点、しかも入賞一点はまぐれもまぐれ、大まぐれとしか言いようがない。 総評の中に『大変失礼だけれども、出品者の中には、仲間たちの間でなんとなく評価しあって満足するという傾向があるのではあるまいか。もう少し中央の展覧会や雑誌などから積極的に学ぶという姿勢が必要だと思う。でないと井の中のカワズになってしまう』という厳しいが今でも当然と思える記述がある。
 組写真がまだ許されていず、カラー作品の入賞は一点もない時代だ。『カメラの目を通して何を捕らえているか、モチーフが明確であるかないか、一枚写真で一体何を訴えたいかなど、作品の優劣を分ける重大なポイントとなる。(中略)色の整理はかなりできているが、モチーフの処理がまずい。色でものを見るのに熱心なあまりモチーフを忘れる出品者が多いのではないか』などとある。 気になるぼくの『モトクロス野郎』の批評だが『超広角で若者の《若さ》を的確に捕らえた』と記されている。店ともいえないささやかな戸口
 そのころは特選が6名も選ばれていた。松村一位さんが『凛』で3回目の特選を取り無鑑査の仲間入り。黒猫が背筋を伸ばし凛として佇つその座像が鮮烈な印象でぼくには焼き付いている。栗山福美さんの『波頭』も北斎描く「波」だけをアップで写真化したダイナミックな作品で、脳裏に残っている名作の一つである。さらに故人となった白川喜一氏の『暁の桂浜』は、厚い雲間から射す光芒の中、海をバックに新春の寒稽古のシーンを新鮮な驚きでもって見たものだ。そして今なお活躍中の入野俊三氏の『荒天』も見える。
褒状には、町内から故比豫森育造氏が、夏雲との合成で作り上げた安芸の野良時計の作品『時計台のある風景』。その後しばらくは、ぼくの良きライバルであった武市良典氏『小雨も楽し』、光画会の世話役もされた和田義景氏『水遊び』、ぼくのモトクロスと同じモチーフで本山準一氏『スピード野郎』、モノクロ写真の美しさで最も尊敬していた故川崎芳五郎氏『茶』、土佐清水市で注目していた坂本超英氏『朝の海』、民俗学をものする実力派NO1の田辺寿男氏『フェスチバル終る』、褒状の常連浜田英弘氏『連絡船のひととき』、岡本守正氏『星霜』その他がある。撮影会初体験の第13回お城まつり写真コンクール入選作品(カラー作品)
 推薦には、その後無鑑査になる笹内正実氏『ノスタルヂァ』、恒石晃志氏『能「湯谷文の段」』。遺作集にぼくの追悼の手紙を載せることになった故中越倉雄氏『コンポジション』、土佐山田町内の池内深氏『あみうち』。
 35年の歳月などものともせず出品を続けている人、そうでない人、志なかばで亡くなられた方々、第25回県展の入賞欄を見ただけでも多士済々である。 ぼくを幸運な県展レースのスタート台に立たせてくれた写真家林忠彦氏には、いつの日にかお目にかかり、感謝の心を伝えたいと念じていたのだが、もういない……。ぼくが文学青年を気取っていた昔、戦後の酒場『ルパン』で撮った太宰治や織田作之助の写真にも憧れていた。 数年前、ご子息の写真家林義勝氏にお目にかかることがあり、30年以上の思いを伝えることが出来た。

▷ 過去の『県展目録』 第11回〜24回 

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