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〒782-0031 高知県香美市土佐山田町東本町5-3-26
TEL/FAX : 0887-53-4034

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 岩崎 勇 プロフィール     

1938年(昭和13年) 5月2日 片木勇として高知市菜園場(サエンバ)に生まれる。
              父 片木新冴吾、母 鶴、姉 初子、兄 太郎、弟 日出雄。
1945年(昭和20年) 7月4日 高知市内が戦災に遭い、香美市土佐山田町(旧佐岡村佐竹)に疎開、終戦を迎える。
1949年(昭和24年) 小学5年、見知らぬ農家岩崎の子養子に貰われる。
              養父 光満(中学3年の時死亡)、養母 絹子。
1957年(昭和32年) 高知大学農学部理学部入学、教師を志望。翌年農学部に転部。
              大学時代に俳句に目覚め、中村草田男主宰の「万緑」に数年投稿する。
1961年(昭和36年) 植物病理学の専攻を終え大学卒業、大阪の精密光学機械販売会社に就職(大阪光学のちコウガク)。
1962年(昭和37年) 京都支店に転勤を機に、演劇塾 長田学舎(元劇団麥の会)に入団する。
             傍ら京都映画下鴨撮影所松竹テレビ室や独立プロで撮影助手として、6年間のムービー修行をする。
1968年(昭和43年) 土佐山田町にUターン、帰郷、(田村)圭と結婚し、のち写真店を開業する。
             白黒カラーDPE取次店から始め、20数年間で、婚礼写真(式場、宴席、スタジオ撮影など)
             300組を越す数を撮っていた‥•また、保育.幼稚園、小中学校の記念写真やアルバム制作なども。
             当初より自己表現として作品発表を始め、モノクロ作品をめざし、暗室技術をマスターすべく
             独学独習。 記録とアートの融合した感動のドラマチックな映像美を目指す。
1971年(昭和46年) 高知県展(高知県美術展覧会)に初出品、褒状入賞のスタート。
1982年(昭和57年)『中国の笑顔』 5枚組が、57年度前期 よみうり写真大賞報道部門において第2席となる。
             第36回高知県展で『散髪・上海』が、県展挑戦12年目にして初特選。
1984年(昭和59年) 第38回『男そして女』で第2回目の特選を受賞。
1986年(昭和61年) 第40回『ヤッター!』で、念願の連続3回目の特選受賞を果たし、
             県展写真部門の無鑑査(無審査)となる。
             俳句現代派『青玄』(395号)(主幹伊丹三樹彦)に入会する。
             その後同人(452号)。
1987年(昭和62年)『この喜び 夢の花嫁姿』で、昭和62年度前期よみうり写真大賞報道部門のグランプリ受賞に輝く。
             婚礼写真の頂点と今も思う。
             この年より大津市の重症心身障害者施設[旧びわこ学園]内の人たちに触れ撮影の機会をいただく。
             旧友浜口十四郎の依頼もあり、彼のボランチア精神に賛同、再三にわたり出向いて、
             献身的な介助する人たちとのふれあいの姿に感動を覚えながら記録する。
1988年(昭和63年) 師事して間もない三樹彦先生より『旧佐岡村から』(組写真)に38句をいただく。 
             ぼくにとっての『写俳』の始まり。
            ★その時既に、伊丹三樹彦先生は写俳集『ASIAN隣人』(1984年角川書店発行)を出版していた。
             モノクロ写真と俳句との融合に感動。共鳴。先生を慕い、結社『青玄』に入会させていただく。
            ☆その後先生との海外写俳旅はインド、ネパール、ポルトガル、オランダ、ベルギー、ベトナム、
             ラオス、イタリア、等など。先生に負けじと撮ったフィルムが1000本以上に。
1990年(平成2年)    高知大学教育学部特設美術非常勤講師として、モノクロ写真講座を持つ。
             その後20年間(71歳まで)学生たちに囲まれ、若い力に刺激されながら職責を全うする。
             一般社団法人 日本写真作家協会会員になる。
             第38回県展では特選を、よみうり写真大賞ではグランプリを下さった、
             審査員三木淳先生(存命時JPA会長)のご推薦をいただいた。

2010年(平成21年)10月 間質性肺炎判明2ヶ月入院する。後在宅治療を許されるも、酸素ボンベ携帯の不便な生活と
             なって、副作用とも一緒に闘病の日々が始まる。病名告知と共に、曲がりなりにも40年間続けて
             きた写真店を再起するも不可能と断じ、閉じることを決意する。 また、高知新聞社文化教室
             (高知市、四万十市、いの町)や高知市民学校での写真教室、三樹彦先生のお許しを得て開い
             て間もない写俳教室も志半ばであれど続行は不可と知り涙を呑んで閉鎖する。
             それまでは20回ほど自らが先頭に立ち海外取材のツアーも企画できたが、今後はままならず
             さびしい限りだ。
             個展やクラブ展、グループ展など毎年のように自らの作品を発表してきたが、
             これだけは生命続く限り、写種尽きぬ限り、写心現役の一人でありたい。

  現在  一般社団法人 日本写真作家協会会員
  写真団体 日本光画会顧問

  高知県写真家協会会長

  高知県美術展覧会理事

  岩崎フォトクラブ(39年間)、写団よさこい(10年間)
  写団土佐海援隊(2年) 以上3クラブを主宰 今も続く。











▶ 会報 NO.7 (2014年7月)
▶ 会報 NO.6 (2014年6月)
▶ 会報 NO.5 (2014年5月)
▶ 会報 NO.4 (2014年4月)
▶ 会報 NO.3 (2014年3月)
▶ 会報 NO.2 (2014年2月)
▶ 会報 NO.1 (2014年1月)

▶ 会報 NO.404 (2013年12月)
▶ 会報 NO.403 (2013年11月)
▶ 会報 NO.402 (2013年10月)
▶ 会報 NO.400 (2013年 8月)
▶ 会報 NO.399 (2013年 7月)
▶ 会報 NO.398 (2013年 6月)
▶ 会報 NO.397 (2013年 5月)
▶ 会報 NO.396 (2013年 4月)
▶ 会報 NO.395 (2013年 3月)
▶ 会報 NO.394 (2013年 2月)
▶ 会報 NO.393 (2013年 1月)


第25回 ぼくの県展回顧録 NO.01
第26回 ぼくの県展回顧録 NO.02
第27回 ぼくの県展回顧録 NO.03
第28回 ぼくの県展回顧録 NO.04
第29回 ぼくの県展回顧録 NO.05
第30回 ぼくの県展回顧録 NO.06
第31回 ぼくの県展回顧録 NO.07
第32回 ぼくの県展回顧録 NO.08
第33回 ぼくの県展回顧録 NO.09
第34回 ぼくの県展回顧録 NO.10
第35回 ぼくの県展回顧録 NO.11
第36回 ぼくの県展回顧録 NO.12
第37回 ぼくの県展回顧録 NO.13
第38回 ぼくの県展回顧録 NO.14
第39回 ぼくの県展回顧録 NO.15
第40回 ぼくの県展回顧録 NO.16
第41回 ぼくの県展回顧録 NO.17
第42回 ぼくの県展回顧録 NO.18
第43回 ぼくの県展回顧録 NO.19
第44回 ぼくの県展回顧録 NO.20
第45回 ぼくの県展回顧録 NO.21
第46回 ぼくの県展回顧録 NO.22
第47回 ぼくの県展回顧録 NO.23
第48回 ぼくの県展回顧録 NO.24
第49回 ぼくの県展回顧録 NO.25
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第59回 ぼくの県展回顧録 NO.36